仕事や生活の中で、今・ここでやるべきことに集中し、その瞬間を積み重ねることはウェルビーイングを追求するうえでも大切なことです。しかし過去の出来事や未来への不安など、ネガティブな思考や感情に囚われてしまうと、前向きに今を過ごすことが難しくなります。またそんな自分の課題を見つめたいけれど、パターン化した癖や思考に自分で気づくのはなかなか難しいものです。
今回は、今・ここを大切に生きるマインドフルネスの思想から生まれた心理手法・トレーニングから、ネガティブな思考や感情の影響を軽減していくための「脱フュージョン」という方法を紹介します。
「ACT」―マインドフルネスから生まれた心理療法・トレーニング
今回紹介する脱フュージョンとは、ACT(アクト)という認知行動療法の1つの心理療法で使われる方法です。
ACTとはAcceptance and Commitment Therapyの略称で、心理療法やカウンセリングで使われていましたが、近年では予期せぬ事態への対処が必要なビジネスパーソンのメンタルヘルス教育やトレーニングにも活用が広がっています。
ACTでは「今・ここ」で充実した瞬間を重ねていきいきした生活を送ることを目指す、マインドフルネスの思想から生まれた手法です。
名称の通り、自分の中に湧き上がる思考や感情をなかったことにするのではなく、「受容(Acceptance)」することがポイントです。その上で、前向きな行動を妨げる思考や感情の影響を減らし、自分自身が大切にしている価値観に沿って新たな行動パターンを作り上げることを目指します。
今回はACTの6つの基本原理のうち、気づかぬうちに行動パターンに影響を及ぼすネガティブな思考から自分を切り離す、脱フュージョンの方法を紹介します。
脱フュージョン―自分からネガティブな思考を切り離す
認知的フュージョン(融合)とは
「フレッシュなレモンをかじる」。この文を読んでどんなことが起こりますか。レモンの色や手触りを思い描いたり、レモンの酸味で口の中に唾液がわいたという人もいるでしょう。
実際にはレモンをかじったわけでもなく、目も前にもありません。「フレッシュなレモンをかじる」は単なる言葉の羅列に過ぎないのに、脳に伝わると、まるで本物を触ってかじったかのような反応が起こります。
ACTでよく言われる「思考」について、整理しておきましょう。
・思考:頭の中の言葉
・イメージ:頭に浮かぶ絵
・感覚:体の中に起こる感じ
では、頭に浮かぶ言葉が「私はみんなに嫌われている」というネガティブな思考の場合はどうでしょうか。「嫌われている」は事実でなかったとしても、頭に浮かぶイメージはとても悲しく、体が緊張したり委縮したりするでしょう。
また、ネガティブな思考を繰り返すことで思考と現実がごちゃまぜ状態になり、人と距離を置くなど行動にも影響を及ぼすようになります。この思考と現実のごちゃまぜ状態を認知的フュージョンといいます。
認知的フュージョンから脱するポイントは?
思考の影響に気づき、減らす
まず「私は嫌われている」という思考が現実とは限らないことに気づくことが大事です。たった1回の過去の失敗でも、「私には能力がない」という思考を繰り返し頭の中でリピートすると、それを現実と混同してしまい、切り離すことが難しくなります。
思考の影響を減らすことで、現実や本来の自分をゆがめずに認識することが大切です。
思考とは異なる行動基準を持つ
「嫌われているに違いない」を行動基準にしてしまうと、人との関係が怖くなり、自ら距離を置くことになります。
思考の影響を減らしつつ、自分が大切にしたい価値観を思い出し、それを行動基準にしていくことが大切です。例えば「尊重」や「協力」という価値観を大切にしていれば、それをもとに行動していくことができるようになります。
フュージョンから脱フュージョンへ 進め方
1 脱フュージョンに向かうことを確認する(方向性)
自分がネガティブな思考を受けていると感じたら、まずは脱フュージョンに向けて進んでみようという方向性を自分の中で確認します。
2 思考の確認
自分の中の思考や感情は、今何と言っているかを確認します。また、それらが自分にどんな作用をしているか、どんな影響があるかも意識します。
3 その思考は有効か、問いかける
・その思考にしがみつくことにメリットはあるか
・思考に従って行動すれば、自分の生活は豊かになるだろうか
・思考に従うことで自分の人生は変わるか、それとも行き詰まったままだろうか
4 客観的に眺める
語りかけてくる思考が自分にとって価値が低いと感じたら、思考と距離を置きます。おすすめの方法については次の項目で紹介します。
5 大切にしたい価値観に基づいて行動する
「私は人から嫌われている」という思考に基づいて同僚を避けていた場合は、その思考と距離を置き、「豊かな人間関係」や「協力」といった自分が本当に大切にしたい価値観に基づいた行動を考え、実行します。
例えば自分から笑顔で挨拶をする、「ありがとう」や「おつかれさま」の声かけを忘れないなど、できることから実践してみます。
その結果、相手からの反応は気にせず、自分の思考と決別し、チャレンジすることが大切です。それによって、「嫌われている」という思考が思い込みだったことに気づいたり、思考に基づいた行動によって誤解を受けていたことがわかることもあるでしょう。
脱フュージョンのテクニック
自分を客観的に見る俯瞰力は、さまざまな場面で必要とされますが、なかなか難しいもの。ACTの脱フュージョンは具体的なテクニックとして紹介されており、取り組みやすい点が魅力です。また、実践した人からさらに「こんなやり方もあるよ」とアイデアが広がっています。いくつか紹介しますので、自分にとって有効な方法を選んだり、開発したりしてみましょう。
思考を教えてくれる心に感謝する
お決まりパターンの「私は人から嫌われている」という思考をキャッチしたら、それを流してくる心に対して、すかさず「そうなんだ、有益な情報をありがとう」と感謝します。ポイントは、その思考はあくまで情報であって、現実ではないことをきちんと認識すること、また、皮肉ったりムカッとしたりせず、温かい気持ちやユーモアを忘れないことも大切です。
ACTでは思考のことを「物語」ともいい、心は偉大なストーリーテラーだといいます。たった一度の経験や少ない情報から物語を生み出し、目の前にないレモンの酸っぱさまで感じさせてくれる心の作用に称讃を贈りましょう。
思考の語尾に「…と思った」「…ことに気づいている」を付けてみる
繰り返される思考に「…と思っている」を付け加え、「私は嫌われているにちがいない…と思った」と、別の人物が自分について語っているようにつぶやいてみます。どんな感じがするか、自分で観察してみましょう。
さらに「…ことに気づいている」を追加してみます。「私は嫌われているに違いない…と思ったことに気づいている」と最初の思考では、どのような違いを感じ取れるでしょうか。
「私はまた失敗を繰り返すに違いない」はどうでしょうか。「私はまた失敗を繰り返すに違いない…と思った」、「…ことに気づいている」ということで、失敗は現実ではなく、単なる思考であることに気づき、思い込みと距離を取ることができるようになるでしょう。
モノマネで思考をリピートしてみる
モノマネが得意な人は、その人物やキャラクターになりきって、お決まりの思考をつぶやいてみましょう。特徴的でユーモラスな声のキャラクターがおすすめです。やってみてどんな風に感じるか、結果を観察します。
実況中継してみる
思考が顔を出した時の様子を、スポーツ解説者のように実況中継してみます。
「ミスを強く指摘した上司がエレベーターに向かっているのが目に入り、また小言を言われると思って迂回したようですね。階段を使って6分のロスと筋肉疲労。いやあ、時間と労力がもったいないですね。次に期待しましょう!」。こちらもユーモアを忘れず、やってみた結果をふりかえりましょう。
まとめ
今・ここ・この瞬間を大切に、前に進みたいと思っても、過去の失敗にくよくよしたり、未来の不安が先だってしまうと、今やるべきことに身が入りません。
そんな悩みを抱える人に有効なマインドフルネスの心理手法から、脱フュージョンのテクニックを紹介しました。現実にべったりと融合してしまい、ネガティブな行動を起こす思考を切り離し、現実やあるがままの自分と向き合いたい人におすすめです。
思考と現実をうまく切り離し、大切にしたい価値観に基づいて、ウェルビーイングにつながる新たな行動パターンを切り拓いていきましょう。